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畑の長い話

連載「対岸のあなたに〜乳がん検診啓発ポスターを考える」:第0回 Hello, It’s me

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そろそろ、人間について語り始めなければならない。

 

私は畑という人間だ。

年末、こんなポスターをよりによって地元近くの駅で見かけた。

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乗り換えで急いでいたが、視界の端をかすめた薄ピンク色と、あまりにもひどい内容と感じられるキャッチコピーで脳みそがぐらぐら揺れ、この国に生まれこの社会で女体持ちとして育った私にはすっかりお馴染みの無気力感が胃と太ももの筋肉にじっとりとのしかかった。

電車に乗って、すぐ書いた。

https://twitter.com/hatake_ager/status/1070671449407447040?s=21

『誰かには地獄がこうやってきれいなうすピンク色に見えてるんだから

地獄なんだって言っていかないとね』


それこそひどい、言葉足らずのツイートだけれど、ツイートの本意を「つぶやき」とするなら、嘘偽りなく素直な言葉だ。

こんな言葉がみんなに向けて貼ってあるのは私にとって地獄だ。

地獄だし、もう私はそれを私だけの胸の内に留めたりはしない。私が誰にも伝えないままでいることで、私の後の世代の子どもたちに、普段暮らす街の中で「地獄だな」と呟かせたくはないからだ。

 


私は、私の見ている地獄を、

それがどんな姿をしていて、

それが私をどのように傷つけ損ない、

それをどんな風に変えていきたいか、

 


あなたにも伝えたいと思う。

 


そのために、あなたの見ている世界も見たい。

だから、私はこんな風に意見を聞いてみた。思いのほか遠くまで届いた呟きだったようなので。

(余談だけれど、決して冷静なときにはそう書かないような、稚拙で、言葉が足りず、情報量が少なく、わかりやすすぎる感情に逃げ、そして「私」という主語が抜けてしまったときほどツイートは拡散されがちと思いませんか。それも含めて私のそのときの言葉ですけれど)

https://twitter.com/hatake_ager/status/1071187485986742272?s=21

『畑のツイートから何かお感じになったりお考えになったら、ぜひお聞かせください。できる限り対話したいので仮の名前も書いてくださると嬉しいです』


すると、

たくさんの意見が寄せられた。いただいた、と思うものもあれば、投げつけられた、と思うものもある。


私はこれから、その意見をひとつひとつ拾い上げて、私の言葉で答えていこうと思っている。

 

 


そしてその前に、ひとつ言っておきたい。


私はひとりの人間で、ひとりの人間としての感情と、尊厳がある。

確かに意見を求めたけれど、それは「何をどんなふうに言われてもいいですよ」ということではない。

意見を求めた私に、「じゃあ何をどんなふうに言ってもいいんだな」と思った方もいたのかもしれないが、

はっきり書いておく。

その考え方はとても乱暴で、匿名ゆえに残酷である。

 


ここでいう匿名とは、実名でのアカウントを持っているかどうかとひとつ離れている意味においてだ。


「私への直接リプライでは書けないこと」が、匿名サービスなら書けたのだとすれば、私に何かを問いかけるのと同じ重さで、私に言葉を投げつけてみたのと同じ気軽さで、

何故そうできたのか考えてみてほしい。

そこに、発信した私を、顔と感情と内臓のある人間と思う気持ちはあったのでしょうか。

 


私が、先だってのツイート、これから書くこのブログ連載の記事、全てのこのポスターの話で主張したいことはたったひとつだけだ。

 


それは

「全ての人は、その人がその人であるというだけで、等しく尊重される。

よって、以下を悲しみ、以下のように尊厳が語られる状態を、私にとっての地獄と呼ぶ。

・他者にとっての何らかであるという理由でのみ尊厳が守られること

同じく、

・他者にとっての何らかになりえていないという理由から、尊厳が軽んじられること」

 


私も、もちろん尊重されるひとりだ。

だから、この話を始める前に、こうして長い前置きを書いた。

 


家族の健康を支えているからという理由で、母親の方の、尊厳が語られてはならない。

家族の健康を支えられていないという状況があったとして、母親の方の、尊厳が軽んじられてはならない。

 


ああ、

 


私に言葉を投げつけた人たちが、

こうして私の言葉を読むことはあるのだろうか。

霧深い、川の対岸を臨むような気持ちだ。

唾を吐き捨てるように書かれた(ように私は受け取った)ものの持ち主は、言葉を受け止めること、受け止められることを知っているのだろうか。

 


けど、まずは呼びかけてみることから始めたいのだった。

霧が深くて見えないだけで、もしかしたら私の隣にいるのかもしれない。私の隣で、私の知らない地獄を見ている人なのかもしれないから。

 


こんにちは。

私です。私という人間です。

あなたから私はあなたと同じ人間に、見えていますか。

 

2019.1.23