信じない人も
職場に何もかもを信用していない人がいて、その人を見ていると辛くなる。
何もかもの内訳としては、
・例えば世界には信用に足る人がいること
・人間は善くできていて善意には善意が返ってくること
・その人のことを好きだったり信頼していたりする人がちゃんといるということ
・その人の頑張っている仕事を見ていて評価する人がいるということ、
何もかも信じていない。
初対面の人と仕事のコミュニケーションを取るのは非常にお得意なのだけど、チームで仕事を進めたり、お客さんとチームになったりするのが本当に苦手なのだと思う。
その人を見ていると辛くなる。
その人がずっとこのまま生きていくのだろうかということではなく、一度歪んだ肯定感情が取り戻されることはあるのだろうかと、一度憎しみを含んで目を覆ったバイアスを薄めることはできるのだろうかと、私自身に刃が向くからだと思う。
私は信じたいなと思う。
私を虐げた属性の人々の善性をではなく、まず私自身の善性を信じることからはじめたいと思う。
私はきっといつか、私を苦しめる私の憎しみの不自由さから自由になれるはずだ。