あなたはその列を歩み去る人(エンドゲームネタバレ感想)
エンドゲームを見てのただの雑念の書き連ねです。
何に基づく考察というわけではございません。
ネタバレを大いに含みます。
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天使の梯子が下りる荒廃しきった大地の真ん中で、割れた盾を手にして立ち上がるその人。「邪悪の軍勢」と読んで、憎んで差し支えないたくさんの敵は暗雲のもとひしめく。
それは間違いなく宗教画だった。
神様になってしまったスティーブ・ロジャースを見て、私は悲しい気持ちになった。
正確には、神様になったのではなかった。彼はずっと神様だったのだ。氷の中から目覚めて以来。
たくさんのことが波濤のかたちで押し寄せつつも、常に奇妙な整然さを保っているこの物語を、笑うべきところで笑い、泣くべきところで泣きながら、考えていたのは、この行進をどう受け止めるべきかということだ。
みんな。みんなが歩いていた。
この物語の、あるべき終わりを目指して。
これまで何本もの作品世界の中に、人間として描かれてきたキャラクターたち、街を歩きものを食い排便し語られたり語られなかったりする過去とパーソナリティを持つ人間として描かれてきたひとびとが、一枚の絵を目指して、歩いていく。
その絵の中でどんなポーズをとるか、そこまでどんな風に歩いていくかまで、これ以上を考えるのは難しい整い方で決められていたから、それはとても美しい行進で、同時にとても悲しかった。
ひとりの話だけしたい。
スティーブ・ロジャースの話。
彼は最後の最後で、行進から外れた。外れたと思う。
彼が石を戻しに行って、それから彼が何を考えたのか、彼がどういう決断の元、誰と一緒に「彼自身の人生」を生きたのか、ほのめかされはすれど描かれることはない。
彼は美しい物語の死へ向けた行進から、自分の意志で外れ、自分の意志で決断し、やり遂げた。彼の意志が具体的には何を志したのかさえ、物語に奪われることはなかった。
人間の自由意志を守り続けた、世界を敵に回しても一歩も引かずに守り抜いた人間が、最後に自由意志によって物語から解き放たれ、報われる。
みんなが歩いていった。あるべき終わりを目指して。
その列から、彼はふっと外れた。最後に合流するという彼らしい律義さはあったけれど。
そしてその、きわめて人間らしい行いの背中を押したのが、先に歩み去っていった、トニーという友達の言葉だったのは、とても鮮明な人間らしさだと思うのだ。全てが神話になってしまう中で。
信じない人も
職場に何もかもを信用していない人がいて、その人を見ていると辛くなる。
何もかもの内訳としては、
・例えば世界には信用に足る人がいること
・人間は善くできていて善意には善意が返ってくること
・その人のことを好きだったり信頼していたりする人がちゃんといるということ
・その人の頑張っている仕事を見ていて評価する人がいるということ、
何もかも信じていない。
初対面の人と仕事のコミュニケーションを取るのは非常にお得意なのだけど、チームで仕事を進めたり、お客さんとチームになったりするのが本当に苦手なのだと思う。
その人を見ていると辛くなる。
その人がずっとこのまま生きていくのだろうかということではなく、一度歪んだ肯定感情が取り戻されることはあるのだろうかと、一度憎しみを含んで目を覆ったバイアスを薄めることはできるのだろうかと、私自身に刃が向くからだと思う。
私は信じたいなと思う。
私を虐げた属性の人々の善性をではなく、まず私自身の善性を信じることからはじめたいと思う。
私はきっといつか、私を苦しめる私の憎しみの不自由さから自由になれるはずだ。
ミモザと帰る春の夜
お水のみに起きてきた母が、
(というのは言い訳で彼女が私が帰ってくるまでいつも布団に入りつつ待っていてお帰りを言いに出てくるのを私は知っている、私が「仕事帰りを待たれる罪悪感がすごいから頼むお布団にはいっててください」とお願いしたから律儀にふとんにいる母である)
私が仕事着のスーツを着たまま、白っぽい台所の光をつけて、ミモザの水切りをして、花器を探して活けて、窓際に飾っているのを後ろから見ていた。
お水を飲んでいるのかなと思ったら、ちょっと涙ぐんでいるのでびっくりした。
介護で何かあったのかなと思えば、しみじみ嬉しいらしくてもっと驚いた。
ミモザは母の大好きな花だ。私も大好きな花だから買ってきたわけだけど、仕事でグタグタに疲れた時に、だから花を買おうと、ひとりで花を買ってきて活けている私の背中を見て、そして夜の窓辺でこぼれるように咲くミモザの生命力に、母は何かしらしみじみとした気持ちになったらしかった。
母はぽつぽつと懐かしそうに、自分が私くらいのころ働いていたテーラーの「大師匠」的な女性がミモザを好きだったこと、その人の洋服を繕えるのは若手では限られていて、自分がそれをさせてもらえてとても嬉しかったことを話してくれた。そこから急に話が飛んで、去年ヴェネツィアで見たミモザの話をした。
私は今年で25だけど、母にも25歳の時があったのだ。新人として働いていた母の窓辺と、新人として働く私の窓辺に、ミモザは同じく咲きこぼれている。そう思うと、私も何かしみじみとした気持ちになってしまって、神妙な心で水切りに使った鋏を清めた。
疲れたときこそ花を買うこと、活けて目に栄養をあげること、旅先で花を探すこと。
私と母は、思いがけないところで似通った人間になっている。
それは血縁というよりもきっと、生まれてからずっとお互いの相性の悪さや過ちについて言葉を尽くして分かり合おうとすることをやめなかった母の日々と、私の日々による歩み寄りなのだと思う。
私が母と暮らす、母が私と暮らす、25回目の春が来るのだった。
『日本一悲しい鬼退治』鬼滅の刃(もうすぐアニメ化)はいいぞ
私のエターナル推しジャンルはガイリッチー 監督映画「コードネームアンクル」なのですが、乞うご期待!で終わったくせにいつまで待っっっっっっっっても続編が出てこない。出てこない上、これは他の映画に罪はないのだけど世は「続編ブーム」なのかな?と思うほど当たればすぐ続編が出る、なんなら一作目のエンドロール後に続編の宣伝が出る。あまりにも辛いので、忙しさもあってあんまり映画館に行けていない今日この頃です。
続きがある事をよろこびたい私のリハビリが、連載漫画の単行本を買うことなのだ。
あんまり編集部とソリが合わねえなと今まで思い続けてきた週刊少年ジャンプで、まさかこんなに好きな漫画がくるとは...と思い三度の飯くらい楽しみにしているのが、「鬼滅の刃」なので直球で推します。よんでくれ
『死闘の中でも祈りを。
失意の底でも感謝を。
絶望の淵でも笑顔を。
憎悪の先にも慈悲を。
残酷な世界でも愛情を。
非情な結末にも救済を。
重ねた罪にも抱擁を。
これは、日本一悲しい鬼退治』
これは新宿駅に大きな広告が出た時のキャッチです。「サンフランシスコの祈り」を意識されていることは間違いないと思うのですが、ほんとう鬼滅の刃をよく表しているコピーなので、上記に少しでも「いいな」と思った方は早くこの記事を閉じて読みに行ってほしい....。
https://shonenjumpplus.com/episode/13932016480029012543
あらすじはこのような。
舞台は、人を食う鬼と、鬼を滅殺する鬼殺隊が人知れず戦い続ける仮想大正時代日本。
鬼に変じた妹・禰豆子を人間に戻すため、主人公の少年・竈門炭治郎は鬼殺の剣士となる。
炭治郎くんとねずこちゃん、本当によき兄妹で、兄妹好きの私はもう逃れようもなく好きなんです。
鬼に変わった妹と、雪の夜、手をつないで長い長い戦いに旅立っていく主人公の真剣さに胸を打たれるのは当然として、
「なんでこんなことになったんだ?」
「本当なら、剣なんて握ることもなかった。今日も俺はあの家で炭を焼いているはずだった」
と独白するのが、誠実な物語だと思う。
子どもが戦うなんて、ほんとはあっちゃならないことなんですよ。それを賛美したり、無理に燃え立たせたり決してしない。どうしてこんなことに?と炭治郎はいつでもものすごく悲しんでいて、そして怒っていて、それを周囲の大人のキャラクターたちは、押し潰さない。
とても好きなキャラクターがおりまして、
怒り続けている笑顔の女性剣士。
鬼との共存を望んだ姉の遺志を継ぐ一心で、笑顔で戦い続ける女性だけど、彼女は心の底で泥沼のように怒り続け、鬼を憎んでいる。
あんまり見ない、でもとてもリアルな造形だなと思うのです。笑顔でいること、正しくあることを内面化するあまり、腹の底から常にお化けのような音をさせている人物というのは...
主人公だけでなく、どんな人も心の底には夜を飼っている。
「鬼滅の刃」はそのことにまっすぐ、誠実な、慈悲のまなざしを向ける作品で、私はそこが大好きです。
ぜひ読んでほしい。鬼滅の刃の話をしましょう。
https://shonenjumpplus.com/episode/13932016480029012543
「動物なので性欲はコントロールできない」人間の方へ
http://hatakeager.hatenablog.com/entry/2019/01/24/193103こちらたくさんの方に読んでいただけたようです。
以下『』、人間は動物なので性欲/エロをコントロールできないとされ私にご返信くださった皆様の送信内容にお答えします。
『狼からしたらエロなんだわ』
日本語を書いていらっしゃるので人間ですね
。比喩表現を使って都合の良いときだけ人間をやめないでください。
あなたは人間社会に生きている人間なので、人間が社会で生きていくための規範に沿って生きているはずです。
具体的には、狼なら糞便垂れ流しでしょうが、あなたは便意を覚えても糞便は垂れ流さずに生活をされていることと思います。
狼なら食欲を覚えたとき店頭で支払いせずパッケージを引き裂いて貪り食い始めるでしょうがあなたは食欲を覚えてもそうはしないでしょう。
「男は狼なので」と性欲に関してだけ器用に規範の外に出ようとされるのは、あなたに性欲をコントロールする気がないだけです。
もし、性欲をコントロールできないのであれば、それはあなたが狼だからではなく、病気だからです。
他者へ加害する前に、然るべき医療機関を速やかに受診し対処してください。
今後はご自身がいついかなる時も、またどんな欲求に対しても人間として対処することをお忘れなく。
『いやいや、繁殖真っ盛りの思春期男子にとっては教育とかで興奮を防げるレベルじゃないんですよ。
人間だってただの動物なんだから。
スカートがひらってなっただけで大興奮するんですよ。
確かに少しジャンルは違いますけど。エロではないけど興奮はします。少年は。(熱弁』
人間は動物ではなく「人間」としての社会規範に沿って行動します。上記レスと同文なので詳細はそちらを。
人間が、お互いを尊重するために定めた規範を人間として遵守し、経験から学ばれ築かれたやり方でお互いを尊重するために、私たちは教育を受けています。
日本の性教育は非常に未熟ですが、「教育など男子の興奮を防げない」と仰るのは以下2点から問題があります。
⑴ 教育で性欲による他者への加害を防げないと断定することで、全ての男性を犯罪者予備軍として扱っている
⑵教育は「性欲を抑える」ではなく「性欲によって他者を加害しないこと」を教えます
今後は、「人間は」「少年は」等の誤解されやすい言葉ではなく、せめて「自分は」と仰ることをおすすめします。
また、あなたが
「教育とかで興奮を防げない、
スカートがひらってなっただけで大興奮する、
生理に興奮する」方だというのはよくわかりましたが、生理は疾病であるという旨のコメント欄で表明するにはあまりにもご自省の足りない内容かと思います。
今後、お気をつけ下さい。
上記、ご査収くださいますよう。
ふかふかの話
たいへんくだらない近況の話。
ふかふかのコートを買った。
ふかふかのコートはふかふかで凄いのでその話をしたい。
とにかくふかふかで、暖かくて、軽い。外回りも通勤も、だいぶ楽になった。勤め人の女性はもう少しシルエットのきれいなコートが多い気がしてなぞの気後れのもとチェスターコートを着続けていた自分がだいぶばかみたいに思える、圧倒的なあたたかさ。
どれくらい暖かいかというと電車に乗っていて私の周りに立っている人が次々と寝る。
マルハチダウン、とタグに書いてあったので調べてみたら、有名なおふとん屋さんとのコラボ商品らしかった。歩くおふとん、畑です。
まだまだ大寒。
安売りのふかふかダウンコート、クオリティオブライフがあがるぞ。
内臓を受け止める生存に必要なふわふわ
畑という人間です。
朝から嫌な予感はしていたのだが、嫌な予感からは目をそらしたくなるものだ。
明確な、尿でも糞便でもない粘り気のある液体が暗雲のような痛みとともに衣服を汚す感覚があり、私は数ヶ月ぶりに「あーーーーーあ」と思った。
生理である。
生理は文字通り生理現象であり、激痛と体の不調を伴い、自分の意思では時期も量も痛みもまったくコントロールできないものだ。できると言う人もいるが私はできないし、99%の人もできないと思う。
生理をエロという意見を見て愕然としたので聞きたいのだが、男性よ、月に一回、大量の血と剥がれた内臓の内側の膜が激痛とともに尻穴から排出されるイベント(しかも1週間に渡る)に悩まされていたとして、
「エロい」
「下品」
と他人から言われたら控えめに言って殴りたくなるのが想像できるでしょう、ほとんどの方は。
膀胱炎にエロいとか下品とか清楚とか上品とかそういう形容があてはまるか?
症状だし、はっきり言って病なのだ。これは。
だってたまに引く風邪より月一の生理のほうが遥かに痛いし辛いし治らない。
百歩譲って、こんなことを前置きなく延々と書き連ねている私自身が清楚さに欠け下品であるというお声は甘んじて受けようと思うのだが、なぜこんなものを書いているかというと、「エロい」「下品」という的外れも甚だしい形容が出回るくらいには生理について実情を知らない方が多いようだと感じたからだ。
そんなことだから、世界でも有数の自然災害被災国のくせに生理用品の支援が遅れるのである。
生理は自分の意思でコントロールできるものではないし、自分の意思で始めるものでもない。(薬の服用をしない限り)
従って、対処用のナプキンを所持していなくても、営業先のアポにあと5分で入らなくてはならなくても、大地震でトイレの水さえ満足に流れないし着替えもない状態でも、御構い無しにきやがるのだ。内臓の内側が剥がれ、血液とともに、激痛を伴って流出するのだ。
それを受け止めるためのナプキンというやつは役柄でいうなら包帯であり絆創膏である。被災地で額からだらだら血を流している人に「包帯はほんとうに必要なのか?」などと聞いたらまずその人が頭部の負傷を疑うべきだが、生理に関しては嘆かわしくも存在する問いかけなのだった。
さて、本日の私は、「あーあ」と思った後迅速にすぐそばのコンビニに駆け込み、一番サイズの大きそうなものを買うことができ事なきを得た。定期的に目の前が白くなるほどの腹痛をこらえ、なんとかどの交通機関の椅子も血で汚さずに帰宅することができた。
今月いちばん、コンビニエンス、という言葉に頼りがいのあった日だった。
2019.1.24