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畑の長い話

ミモザに寄せて

ミモザの日に寄せて、ずっと書いておかなければと思って投稿できずにいたものを書くことにした。セクシュアル・ハラスメントの描写を含みますので、ご注意いただければと思います。

いつも以上にまとまりもないです。すみません。

 

 

 

 

 

 

一昨年の話だ。
信頼していた大人に触られた。
職場で。
職員として振るまえ、と言われた場所で、私は男性職員と同じように扱われなかった。
もし私が男だったら、あんな触られ方をしなくてすんだのだろうか。
もし私が男だったら、その職場で過ごす最終日、学んだことについて述べたスピーチに対して、「彼氏いるのか?」なんて聞かれずにすんだのだろうか。
もし私が男だったら、その後の打ち上げで延々と酌をさせられ、前後不覚になるまで酔った上司に数センチまで顔を近づけて言葉になっていない何かをわめきちらされずにすんだのか?
その職場は、教育を担う場所だった。公的な。私はそこで働くことを目指して、大学でずっと学んできたのだ。その最終段階で、そういう場所に送りこまれたことを、不幸に思えばいいのか、幸運に思えばいいのか、今でもわからない。何の整理もついていない。まだ「こんなことが起こるはずない、こんな場所なわけがない」と自分のどこかが言い続けている。
そこで働いたら死んでしまうと思った。

 

そこで働くために学んできたのに。

 

 

死んでしまわない場所をなんとか探して、そこで春から働けることになった。
そして、私がいたら死んでしまうと思った場所には、来年の春、またたくさんの子どもたちが入ってくる。私に触った人たちから、私を職員として、人間として扱わなかった人たちから、人権について学ぶ。

 

私は逃げたのだという気持ちがずっとある。

 

定められた女子の衣装を着たくないと、紙に書いて訴えてきた学生がいた。その人たちは鼻で笑っていた。「最近はこういうわがままがまかり通るようになってきたからね」その声の冷たさを忘れることができない。私は何も言えなかった。今も、何も言っていないのと同義の選択肢を選んでいる。どうしたらよかったのかはわかるようでも、今どうしたらいいのかわからない。あの場所に戻ったら死んでしまう。
でもそれはあの地獄みたいな場所で学ぶ子どもたちを見捨て、見捨て続けるのと同じことじゃないのか?

 

誰か教えてほしいという気持ちがある。

でも私を触ったのは、私を教えた先生だった。子どもだったときの私を教えた先生だった。
今もわたしはどうしたらいいのかわからないままだ。

 

ひとつ言えるのは、死んでしまうと感じた私は間違っていないということだ。
私は「考えすぎ」じゃない。私は「反応しすぎ」じゃない。私は「いちいち大げさ」じゃない。私にされたことが間違いで、私の苦痛は間違いじゃない。
私はハラスメントを経験した。
ハラスメント、多分この国の社会のあらゆる場所に存在してしまっているありふれたこと、それについて私が「私は間違ってない」と言うことにさえ、私は丸一年と半年近くかかってしまった。今私の指は冷たい。汗が噴き出て、耳鳴りがする。思い出したくないからだ。

 

魂を殺された人がいる。尊厳を殺された人が。
その人は間違っていない。絶対に。

尊厳を殺し、殺したことを矮小化し、「合意の上での殺人だった」とまで言うほうが、間違いだ。

その間違いを認めてはならない。よくあることにしてはならない。絶対に。

 

私に関して言えば、自分のことについて考えたくない。忘れてしまいたい。でも私を触った奴らは忘れているから、私まで忘れるわけにはいかない。

だけど一体私がこの先どういう選択をすればいいのか、答えが出る日が来るとも思えない。私の傷は相変わらず生傷で、出た血がひたすら溜まる。

 

私は、私まで、私を触って貶めた人たちと同じような場所には立ってやらない。大きな主語で大きな属性を踏みにじって、楽しく酒を飲んだりしない。自分の痛みに任せて、(私がそうされたように)たくさんの人をひとまとめにした属性を憎んだりしないよう、自分の傷に抗うのだけが今日のところの私の努力。今日のところの私の復讐だ。
 

大雑把な希望を並べて終わりにする。

明日はもっとこのクソな世の中がよくなりますように。誰も生傷を抱えて暮らさなくてよくなりますように。私を触った人が二度と誰のことも触りませんように。私が「お前は逃げたんだ」って私に言われなくてもよくなりますように。明日は誰もが尊重し合えるようになりますように。明日こそは。