『ラ・ラ・ランド』メロンソーダと見せかけてジンジャーエール【映画感想】
本日のごはん:『ラ・ラ・ランド』(原題 "La La Land")
料理した監督:デイミアン・チャゼル
脚本:デイミアン・チャゼル
音楽:ジャスティン・ハーウィッツ
主演:エマ・ストーン、ライアン・ゴズリング、J・K・本作では普通の人なのになんかすごく怖い・シモンズ
(敬称略)
味:本物のショウガを使って作っているタイプの、味も辛みもしっかりなジンジャーエール
・物凄く色がきれいなのでメロンソーダに見えるBUTジンジャーエール
・しっかり辛い
・でも、ソーダ!やっぱりソーダなんですよ!NOTショウガの搾り汁
喫茶店とか、洋食屋さんとか、ショーウィンドーに飾ってあるメニューの女王様たるきらきらのメロンソーダ。たいへん綺麗でかわいい色あいと、「アイスの載ったこれを頼んじゃうなんて、幸福でしかないのでは....?」という期待感がありますね。
この冬たいへん話題になったこちらのソーダ、事前のおしらせをガラス越しに見つめて「うわあ、メロンソーダだ!」とるんるん頼んだ多くの方と同じく、わたしも大変びっくりいたしました。メ、メロンソーダじゃない!!終始メロンソーダにしかみえないキラキラの色彩だけどこれジンジャーエールじゃん!?しかも、「ジンジャーエール味の炭酸飲料」じゃなくて、めっちゃしっかりショウガが入っているやつではないですか。 喉がカーーッと熱くなるタイプの。
予想していた味とちがったこともあってか、その素晴らしい美味しさもあってか、様々話題になりましたね。こんなのが飲みたかったわけじゃない!と思われた方もいたかもしれません。
でも、それでもこれ、ソーダなんですよ!確かに辛くてガツンとくる味なんだけど、ぱちぱち弾けて、しっかり冷えて喉が気持ちよくて、また飲みたくなる感じ。ショウガの搾り汁じゃなくて、ソーダなんですよ。
以下、具材(ネタバレ)
あなたはひとりで歌い始めた
というわけで、本当にいろんな角度から書き尽くされていると思われる、ララランドについて、おそれずに書いてみようと思います。改めまして、畑です。
まず、ララランド、とても好きな映画でした。だって、音楽が本当にいいんだ。最高なんですもん。サントラ買っちゃいましたよ。みんな買っちゃったでしょ?(「みんな」は言い過ぎですね) 好みの分かれる映画と評されつつ、それでもやっぱ音楽は良かった、という意見、多く拝読しました。
ララランドの音楽が好きなんです、というのと、ララランドって映画が好きなんです、はちょっと別な話では?と自分でも一瞬思ったりもしましたけど、いや!ちがうんだよ!ララランドの音楽が好き、ていうのは、ララランドの音楽の部分だけを取り出して好きです、ていうのとはちょっとちがうんだよ!
だって、この映画、ミュージカルじゃん!
なので、いくつかの前提でお話をすすめたいと思います。
・ララランドにおける音楽は、脚本のト書き、小説の地の文である
・ミア、セブたち登場人物には、ララランドの劇伴音楽が「きこえている」
つまり、ララランドの音楽はあの物語世界の背景であり台詞であり伏線であり、あの映画そのもの、という体でみていきます。
めっちゃ速い
速い。冒頭の高速道路シーン、「Another Day Of Sun」、それからミアが友人とパーティに繰り出す「Someone In The Crowd」、どちらもテンポを測ってみると♩=120~130というところです。ゆっくりではないですね。グーグルで「メトロノーム」と検索するとメトロ出てきますので(すごい)、そこらへんの数値で叩いてみて下さい。
しかも、基本的にエイトビートで刻まれているので、もともとが130くらいでも、トン、トン、トン、トンと頭打ちでなくトントントントントントントントンと240~260でビートが入っています。体感的に、すごく速く聞こえます。ララランドの音楽が頭から離れないままフンフンと歌っていて、いざ原曲を聴きなおすと、思ったよりゆっくりに聞こえる現象がたまにあるんですが、それはララランドの音楽が実際以上に「走って」聴こえるつくりだからかなあと思います。あと私のリズム感がないせいもありますね。はい。
もちろん、スロウな曲もあるけど。とはいえそんなに激しい曲にきこえない「A Lovely Night」(パーティ帰りにミアとセブが踊るやつ)なんかも、加速に加速を重ね、最終的に♩=150を超えたりしています。速い。
地の文であり、映画の中の人々の歩くテンポでもある音楽がとてもとても速く、前へ前へ急かしていくような雰囲気なのですから、全体に「強迫観念」じみたこわさを感じた方がいたのも無理はないです。確かに群舞のシーンは止まったら死ぬマグロ的な雰囲気ありました。
音楽=生き方
ところで「どんな音楽にのって動くか、話すか、踊るか」が、そのまま「どう生きるか」につながっている物語世界において、「A Lovely Night」のシーンからしても、ミアとセブは根本的に同じ音楽を聴ける=生き方に共鳴できるふたりだったということになります。君と俺しかいないなんて素敵な夜の無駄遣い、とか歌っていても。あとこの曲いちばん好き。コードネームアンクルのナポレオンソロに歌ってもらいたい。(すみません、アンクル信者なので...) そもそも、ミアは初対面からして、「あなたの音楽、とても...」と共振していますし。
共鳴できるふたりだったミアとセブは、最終的には別れていきます。別の音楽の中に身を置くようになりました。ふたりが別れていった先を描かないのは、それがララランドの音楽とは別のコードだからでしょう。
音楽=生き方であるララランドの物語世界の中で、セブが「Start A Fire」を弾いたのは、とても重い事です。つまり、自分が今まで弾いてきた音楽=生き方を、全部他人のそれにのっけて、自分が弾きたい=生きたいと願っていたものを全部かなぐりすてて、それをよしとしたのですから。「それでいいの」とセブに聞くミアは、今まで同じものを聴いていたからこそ、セブに聞きたかったんだと思います。自分が今まで聴き歌ってきた音楽ではないものに動かされ歌わされても生きていけるのか?と。ミア自身も、自分に対して聞きたかったのかもしれません。結局ミアとセブは違う答えを出し、ふたりは別離します。再会までが描かれますが、セブが「Start A Fire」を弾くことを選んでから、ミアとセブは別の音楽を生きはじめたのでしょう。
サウンドトラックで、そのひとつ前に「City Of Stars」のミアとセブのデュエットバージョンが入っているのもつらい。ふたりがひとつのピアノ椅子に座って、同じ音楽をうたった=同じ音楽の中で生きた最後のシーンです。"A voice that says, I'll be here and you'll be alright" を、揺らぎながらふたりが生きてるのが沁みます。
そして、「Audition」で、ミアは自分で歌い始めます。劇中、ミアは流れ始めた音楽に合わせて、あるいはセブに続いて歌い始めていましたが、このシーンで初めて、ひとりで歌います。同じ音楽を聴いてたセブとはドアで隔てられ、音楽無しに、歌い始めます。ミアの演技力に対しても諸説ありますが、演技自体よりも、ララランドのこの世界で、何かの音楽に乗るのではなく、「自分が音楽を始めるものになる」ということは、それ自体に大きな意味があるように思われました。
終わりから始まりに
サウンドトラックの終盤、「Epilogue」はセブのピアノ独奏で終わります。ミアとセブの本当のお別れのシーンですね。そして、エンドロールの最後は「City Of Stars(Humming)」、ミアの独唱ハミングで終わります。伴奏はギターです。つまり、ミアはこの曲をひとりで、セブのいない人生の中で歌っています。
そして、アルバムが一周し「Another Day Of Sun」のはじまりは、ピアノです。そして、女性のハミングです。
セブではないピアノ、ミアではない女性ですが、ここで、冒頭の華やかなミュージカルシーンでミアとセブが登場しないことの意味がわかるような気がします。時系列ではもちろん物語のはじまりですが、同時に終わりの先にも位置していて、別々の音楽を生きた二人の、別々になった音楽が、また誰かを動かして、その中からもしかして自分の歌を歌い始める人がいる。季節が一巡することがはっきりと示されているのも、そんな仕掛けの一部なのかなと。
ミアもセブも、どんな人も、おそらく私たちも、最初の高速道路で明らかなようにそれぞれの車の中で別の音楽を聴いて歌って、結局はひとりで歌っていくしかないのですが、ごくまれに、誰かと同じ音楽を共有することができる。同じ音楽の中で生きていける、と信じたりできる。ララランドはそういう一瞬の夢の話で、だからやっぱり、最後同じ夢をみるところで泣いてしまいましたよ。そうじゃなかったけど、そうじゃないけど、そうだったらよかったのにね。
今日はこのへんで。ごちそうさまでした。
- アーティスト: Original Soundtrack
- 出版社/メーカー: Interscope Records
- 発売日: 2016/12/09
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